石垣工事をしている弘前城天守の現場で、縄文時代の遺構が見つかりました。弘前城周辺は縄文時代の人たちにとって暮らしやすい場所だったようです。
遺構が見つかったのは、元々、天守があった土台から4メートルほど下にある地層です。縄文時代晩期の盛土遺構と呼ばれるもので、当時の人々が使用して壊れた土器や石器などが捨てられ、長い年月をかけて盛り上がったということです。
今でも土器がいくつか見られるところも残っていました。盛土遺構が見つかったことで、縄文時代、この近くに大きな集落があったことが推定されます。
弘前市周辺で盛土遺構が確認されているのは、岩木山ろくや白神山地の遺跡だけで、市街地で発見されるのは初めてです。
【弘前大学 関根達人教授】
「弘前城が造られた場所というのは、縄文時代の人にとっても暮らしやすい良い環境の場所だったということになります」
「石垣が修復された時に、自分の足元には、実は縄文の遺跡があるんだというふうに想像していただきたいというふうに思います」
この遺構は、次週にも埋め戻され、石垣修復工事が継続されます。