自動車産業が大きな変革期を迎えるなか、スーパーカーと呼ばれる車が生産終了を迎えました。時代を映してきた車は、まさに時代の変化によって役割を終えることになりました。
「羊の皮を被った狼」と呼ばれた車は、再び眠りにつきます。
日本が誇るスーパーカー、日産「GT-R」。最後の1台の生産がきょう終了しました。
記者
「運転席に作業員が乗り込みました。間もなく生産ラインを出ます」
最後の1台は日本のユーザーの元に届けられると言います。
かつて、若者を魅了したスポーツカー。モーターショーでは“花形”で、中でも、伝説に彩られたのが日産「GT-R」でした。
「GT-R」の原点は、1969年に登場した「スカイラインGT-R」。通称「ハコスカ」。本格的なレーシングエンジンを市販車に載せる日本初の試みで、日本のモータースポーツ史上に金字塔を打ち立てました。
1972年のモデルチェンジでは、「ケンメリ」という愛称で親しまれました。しかし、世の中の環境問題が意識され始める中、排気ガス規制の壁に阻まれ、生産されたのはわずか197台。「悲運のGT-R」と呼ばれました。
しかし、その後、バブル期に復活するも、会社の経営危機とともに「GT-R」は再び姿を消します。
それでも2007年…
日産自動車 カルロス・ゴーン社長(当時)
「『GT-R』は、我々の車への情熱のたまものだ。持っている技術を限界まで使いたかった」
復活したのが、今回のモデル。あの世界的なテニスプレイヤーもお気に入りでした。
大坂なおみ選手
「(Q.日産で一番好きな車は?)私は…『GT-R』。(Q.なぜ?)速い」
「速さ」とその伝説で世界的にも人気が高かった「GT-R」。
記者
「日産『GT-R』最後の1台が今、生産ラインを出ました」
最後は大勢の関係者に見送られました。
車に求めるものが「速さ」や「かっこよさ」から「乗りやすさ」や「燃費」に変わっていき、スポーツカー市場は時代とともに縮小。
日産「GT-R」元開発担当者 松本光貴さん
「開発費や工数が膨大なものになりすぎてしまって、お客様に提供できる価格ではなくなることが一番の問題」
シンボルとも言えるモデルの終わりにあたり、社長もビデオメッセージで…
日産自動車 イヴァン・エスピノーサ社長
「これは『GT-R』との永遠の別れではありません。『GT-R』は進化をとげ、再び登場するでしょう。皆さまには辛抱強くお待ちいただくことをお願いしたい」
経営再建中と苦境に立つ日産。「GT-R」が再び走り出す時が復活の時なのかもしれません。
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