10万人が犠牲になった東京大空襲からきょうで80年です。空襲を受け、疎開してきた人たちでつくられた集落が北海道にあります。
江別市角山、国道275号沿いにあるバス停です。東京都世田谷区の住民が終戦の年に疎開し、定住したことから「世田谷」と呼ばれています。
80年前の3月10日、アメリカのB29爆撃機による大空襲で東京は壊滅的な被害を受け、およそ10万人が犠牲となりました。
横山民男さん)
「真っ赤になって燃えているなと思って見ていた」。
江別市の「世田谷」に住む横山民男さん(92)。東京都世田谷区の三軒茶屋で13歳の頃に東京大空襲を経験しました。今でも空襲の光景は鮮明に覚えています。
横山民男さん)
「B29か何かの4発のでかいやつが火だるまになってまっすぐ飛んできて。逃げた後にもこっちに向かって来る。こっちじゃないそっちだって一生懸命逃げた。そっちに行ってもまっすぐ飛んでくる。諦めたら手前で落ちたからほっとした」。
東京大空襲から4か月後、道内各地に人々が疎開してきました。横山さんは家族で江別市の「世田谷」へ。寒さが厳しい北海道での生活は命がけだったと話します。
横山民男さん)
「とにかく貧しかった。履く靴がなかった、冬になっても。着ているものをほどいて足に巻いて、それで歩いていた」。
当初は33世帯が移り住み、支えあいながら慣れない土地での暮らしを続けていました。疎開してきた7月9日は「入植記念日」として世田谷の人たちで集まり親交を温め続けています。
「世田谷」に移り住んでから80年。厳しかった移住生活。もう二度と戦争をしてはいけないと横山さんは話します。
横山民男さん)
「いまやれっていったってできないあんな(疎開直後の)生活は。口では言えないほど苦労してるんだ」、「戦争なんてするもんじゃないよ」。
▼HTB北海道ニュース 公式サイト
https://www.htb.co.jp/news/
▼情報・映像提供はこちらから「イチオシ!!動画ポスト」
https://www.htb.co.jp/news/info.html
▼HTB北海道ニュースのSNS
Twitter https://twitter.com/HTB_news
Facebook https://www.facebook.com/htbnews/
TikTok https://www.tiktok.com/@htb_hokkaidonews
#HTB北海道ニュース #北海道 #ニュース