甚大な被害をもたらした能登半島地震から1年。SBSテレビでは、2025年の元日も被災地を訪れ、現状と人々の思いを見つめてきました。「仮設住宅で最後はありえない」被災者の言葉には生活を立て直す決意とその難しさがにじみ出ます。石川県珠洲市。毎年、雲が多く、初日の出はなかなか拝めないそうですが、2025年は雲の間から朝日が差し込みました。<珠洲市出身で帰省した学生>
「能登の復旧復興が一番で、去年よりもいっぱい笑って過ごせる1年にできたらいいなと思います」1年前、能登半島を襲った最大震度7の地震。津波の被害も重なった珠洲市宝立町は、当時、がれきの山と化しました。<防災担当 和田啓記者>
「ここはずっと木材が積み上げられていて家々が壊れていたのを非常に鮮明に覚えているんですけども、もうその姿はなく復旧が進められている、解体が進められたということになります。随分様相は変わっているような印象を受けます」目に見える変化はあるものの、石川県では解体見込みの建物のうち、完了したのは41.8%にとどまっています。計画では、すべての解体を終えるのは2025年10月です。【公費解体の進捗状況(2024年12月22日速報値)】
解体見込み:3万2410棟 完了棟数:1万3547棟輪島市内の仮設住宅に暮らしている小川さん夫婦と娘の榊原祐子さんです。いつもの正月は親族が集まりますが、その家はいま解体中です。
<母・小川昭子さん>
「(解体中の家を)まだ見てない?」
<榊原祐子さん>
「寂しくて見に行けてなくて、一度も。だから、きょう初めて。何となく足が向かなくて(解体中の)家の方に」元日の地震から1か月が過ぎた頃、祐子さんたちは、倒壊の恐れがあるとされた家から思い出の品々を取り出していました。
<榊原祐子さん>
「先も見えないのでどうしていいか本当に」
取り壊した後、同じ場所に小さな家を再建する予定です。<榊原祐子さん>
「私はずっと両親のそばにいるからやっぱり住み慣れたところに戻してあげたいという気持ちもあるし。80何年も生きてきてこんな目に遭って仮設で最期なんてありえないよ」
発災から1年、祐子さんは解体中の自宅に初めて足を運びました。
<榊原祐子さん>
「家がない…こうなるんだね。なんかこれを見たくなくって、見に来なきゃとは思っていたからよかった。来ないとまた後悔してたかもしれないしね。しみじみと…」
<母・小川昭子さん>
「長い間ありがとうございました」祐子さんは駆け付けた息子家族と一緒に初詣に向かいました。
<地域の人>
「あけましておめでとう。孫?」
<榊原祐子さん>
「孫です。みんな地元でみんな知り合いだから。久しぶりに会った本当に。みんな戻ってきたいと思えるような町になればいいかな。簡単なもんじゃない。勤めるところもないと戻ってもこないし、ただでさえ過疎化だったところに追い打ちをかけてるわけだから」被災地の新たな1年が始まりました。
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