旧統一教会との接点を巡る国会追及で「記憶にございません」を連呼し、批判を受ける盛山文科大臣。それでも政治家がこのワードを使い続ける訳とは。
「ハグ」をしたのか、してないのか…。旧統一教会側と盛山文部科学大臣の過去の接点が追及されました。
立憲民主党 山岸一生衆院議員
「この集会の場で統一教会の関係の方とハグをした、これは事実ですか?」
盛山文部科学大臣
「私どもの年代でハグをするというのは、そういうことはまず普通はあり得ない。私としては全く記憶にありませんし、そういうことをするということ自体が考えられません」
返ってきたのは「記憶にない」というセリフ。ちなみにこれまでも団体との関係を問われるたびに…。
盛山文部科学大臣
「全く記憶しておりません」
「全然、記憶にございません」
これにはSNSからツッコミが飛ぶことに。
X(旧ツイッター)から
「都合の良い記憶力ですこと」
「はいはい、そうやって逃げるのね」
「出た、政治家の常套句!」
もはや、政治家の“常套句(じょうとうく)”なんて皮肉られる「記憶にございません」。その起源ともいわれているのが1976年のロッキード事件です。
国際興業 小佐野賢治社主(当時)
「記憶がありません」
「今、記憶がございません」
事件の関係者として国会に召喚された国際興業の社主・小佐野賢治氏。ここで連呼したセリフが一躍に有名に。以降、事あるごとに政治家・官僚の発言で耳にするようになりました。
鈴木宗男衆院議員(当時)
「説明を受けたという記憶はございません」
田村憲久厚労大臣(当時)
「ちょっと記憶にないですね」
稲田朋美防衛大臣(当時)
「それは全く記憶にありません」
石原慎太郎元都知事
「私は記憶にござません」
しかし、一体なぜそんなに「記憶にない」を使うのか。そして本当に「記憶にない」のか。
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