能登半島地震から1カ月が経ち、大きな被害を受けた輪島市でこの週末に仮設住宅への入居が始まった。
■自宅全焼、仮設住宅へ…「精神的に楽」
海岸沿いに並ぶ18戸の仮設住宅。4000件を超える申し込みのなか、今回の入居予定は18世帯。
入居者(82)
「立派すぎて感謝感激です。安心して眠れるんじゃないかなと」
室内にはトイレやエアコン、さらに備え付けキッチンも。
3日から仮設住宅で一人暮らしを始める大下澄子(76)さんは、こう話す。
大下さん
「(仮設住宅は)精神的には楽。気を使わなくていい」
輪島朝市通りの近くにあった大下さんの自宅は全焼。
大下さん
「この子らと一緒に住める家を建てたいです」
輪島市にとどまり、生活を再建したいという大下さん。地元にとどまる人、離れる人。決断の背景には“それぞれの思い”があった。
■断水でも店再開 「能登がなくなってしまう」
七尾市でお好み焼き店を営む杉本祐一さん(45)は、「疲れきった被災者の日常を取り戻したい」という思いから、地震発生後わずか2週間あまりで営業を再開した。
長年、地元の人から愛されている味。訪れた人からは、笑顔があふれる。
客
「ほとんどレトルトのカレーが多かったので、おいしいです。やっぱり、外で食べるのは」
店の営業には、一日およそ100リットルの水が必要。しかし…。
お好み焼 平野屋 杉本祐一さん
「(水は)全く出ないですね」
店は断水が続いているため、隣町から水を調達したり、トイレに使う水は雨水をためたりして営業しているという。
杉本さん
「(水を)満タンにいれるんですけれども。洗い物をする」
さらに、洗い物が少なく済むよう使い捨ての紙皿を使い、ドリンクはプラスチックのコップで提供。
杉本さん
「ビール用のカップも冷やして。冷やした感じにすると、お客さんも喜ぶので」
杉本さんが能登にとどまり、店を続ける思いとは…。
杉本さん
「今は復興に向かって、もうステップあげていかないと、能登がなくなってしまうんじゃないかっていう。そこが不安なので。もう一歩頑張って、踏み出していきたいと思います」
■穴水、カキ養殖60年「命が尽きるまでここ」
一部の地域では、今も断水が続いている穴水町。
カキの養殖を営む 馬道百合子さん(82)
「離れられんで、この景色見とったらね。こういうところに慣れ親しんだらね。どんだけ都会出て、良いところがあっても、ちょっと取り戻せん」
この地で60年以上カキの養殖を営む馬道さん。
番組が馬道さんと出会ったのは先月13日。その時には桟橋が崩壊し、船にたどり着くことができず、仕事が全くできない状態だった。
あれから3週間が経ち、再び馬道さんの元を訪ねると、次のように話してくれた。
馬道さん
「お船の方も、この桟橋もね、直したいんだけどね。まだ手が足りないんですよ。職人さんに直してもらわんと。私の力じゃ、かなわんからね」
今もまだ、桟橋は崩れた状態のまま。養殖再開のめどは立っていないという。
それでも馬道さんは、次のように話す。
馬道さん
「困ったっていうことは言いたくないね…。だから必ず必ず、できるときが来るっていうことは信じてね。必ずできることは、焦らない焦らないっていう気持ちで、自分を抑えとるんやろね」
いつかカキの養殖を再開できることを信じ、この穴水町にとどまっている。
馬道さん
「やっぱここが一番。ここが一番。ここで頑張ります。命が尽きるまで、ここでおって。私必ずそれなりの救いで、また立ち上がって。それでまたそれにふさわしい、その時その時の生活ができることを信じるし、そういうことを願いながら、私もおるわけや」
■穴水町長が住民を激励
取材中には、こんな場面もあった。
馬道さん
「町長さん、あぁ…」
穴水町 吉村光輝町長
「やっと来られた」
馬道さん
「あんたも大変やね」
吉村町長
「いやいやいや」
馬道さん
「心配でね、体気付けてね」
吉村町長
「お母さんもね」
穴水町長が、馬道さんの住む地域を視察に訪れ、住民らを激励。
馬道さん
「本当によかったわ。本当によかった…ありがとね、きょうは。すかーっと元気そうな顔見せて」
吉村町長
「おかげさまで元気にやってます。まだ長丁場なんで」
馬道さん
「そうそうそう」
吉村町長
「休み休みやります」
馬道さん
「気長く。世にもまれなる大事件、大災害。だから気長く。それに合わせて気長くね。ちゃんと立ち上がるよ、それなりに」
■車庫で2家族“共同生活” それぞれの決断
一方で、穴水町を離れる決断をする人も。
高田久美さん(52)
「まだ電気も水も見通しもないので、このままではいられないので…。一旦、この場所を離れることになりました」
美容室を営む高田さん。この地域では、まだ電気や水道などのライフラインが復旧しておらず、生活のため47年住んだ穴水町を離れる決断をしたという。
番組は、先月11日にも高田さんのもとを訪れていた。車庫に避難し、近所に住む川崎さん一家と6人で共同生活をしていた。日中は、椅子やストーブを持ち寄り車庫で過ごし、夜は車で寝る生活を送っていた。あれから3週間、再び訪れると…。
高田さん
「寂しいですよね。みんなでワイワイしていたのに。県外に行くことになるので、ある程度きちんと片付けをして…」
高田さんは穴水町を離れ富山県へ引っ越すため、共同生活を送っていた車庫の片付けをしていた。
高田さん
「やっぱり前進まないといけない。もう本当に見通し立たないので、こちらは電気も水も。それではちょっと…。いつまで車中泊は。頑張れるけれど、いや、でも進まないと…」
生まれ育った穴水町を離れる決断をするまでには、葛藤があったという。
高田さん
「やっぱり大好きな場所ですし、やっぱり大好きなお客様とか…。やっぱりちょっと離れるのはつらいですけど、しょうがないですもんね。大丈夫、戻ります。絶対戻ります」
■新しい生活へ…「明日を進むしかない」
高田さんと共同生活を送っていた川崎真紀子さん(61)は、このように語った。
川崎さん
「仕事のことや地域の人たちと離れられなくて。結局、私は穴水に残ることを考えて、知人宅に身を寄せる形にしたんです」
一時は、子どもが住む金沢に住むことも考えたというが、長年暮らしてきた穴水町から離れられず、とどまることにしたという。
川崎さん
「自分の家じゃないですし、これがまた何カ月続くかまだ分からない。不安はありますけど、でも…明日を見つめて、明日を進むしかないので」
共同生活を送っていた車庫を離れ、新しい生活へと進みだした2人。
川崎さん
「『はい、さよなら』と言ってしまったら、それまでなので。残ってる人たちが頑張って、ちょっとでも1歩ずつでも…」
高田さん
「いてください、帰ってきますから。本当に支えてもらったので。良い方たちと一緒に被災生活というか、頑張れたなって思います。本当に感謝しています」
川崎さん
「同じです。同じです、本当に…。またね、ぜひ」
高田さん
「ぜひ一緒に。ご近所で暮らしたい」
(「羽鳥慎一 モーニングショー」2024年2月5日放送分より)
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