中国・江沢民 元国家主席が死去…異例“政権批判デモ”への影響は?記者中継(2022年11月30日)

中国・江沢民 元国家主席が死去…異例“政権批判デモ”への影響は?記者中継(2022年11月30日)

中国の江沢民元国家主席が30日、白血病などのため亡くなりました。96歳でした。

この人がいなかったら、世界史は変わっていたかもしれません。1989年、中国はかつてない規模で沸き起こった民主化運動を経験し、国内統治を立て直さなければいけないタイミング。そのかじ取り役に抜てきされたのが、江沢民氏です。強く提唱したのが、一党支配のもと、市場を開放していく“改革”。社会主義の中で資本主義を育むという思想は、トウ小平氏の改革路線の継承と受け取られ、党の最高指導者へ推戴されることになります。

1993年から2期、国家主席を務めた10年間、市場開放の理念は次々と実行に移されていきます。1997年に香港返還。1999年にはマカオ返還を実現します。そして、2001年にはWTO=世界貿易機関へ加盟。中国が開かれた世界市場に一歩を踏み出しました。

あれから約20年。世界2位の経済大国へと成長を遂げた中国。その道筋を示し、基盤を作り上げたのが江沢民氏でした。

江沢民氏のバックグランドの大半は、上海にあります。上海の大学を卒業し、上海市長にも就任します。国家主席になった江沢民氏を支えた“上海閥”も、彼の経歴の産物です。

日中関係においても、重要な役割を果たしました。国家主席就任前には田中角栄元総理と面会しました。1998年に訪日した際には、“21世紀に向けた新たな日中関係”を掲げた共同宣言が出されました。
ただ、当時の天皇陛下に「過去の歴史についての謝罪」を迫る発言なども飛び出し、経済関係と歴史問題のはざまで揺れる両国の難しさを改めて突き付けました。

成し遂げたこと業績が大きいほど、権力の座を退いてからも影響力が強く残ります。それがより大きかった江沢民氏は、習近平政権の“権力腐敗撲滅運動”で的にかけられ、晩年は、ほぼ影響力を失った状態だったといわれています。

北京市民はこう受け止めています。
市民:「国民のため、仕事の“引継ぎ”をちゃんと成し遂げた」。
市民:「私は90年代の生まれです。当時は、中国は貧困に苦しみ、外交も厳しい時期でした。彼が中国国民を率いたから、困難な時期を乗り越えられたのです」

◆北京から冨坂範明中国総局長の報告です。

国営テレビでは3時間前から追悼番組が始まっています。一つの時代を象徴する人物が亡くなったことで、哀悼ムードが広がっています。“上海閥”というグループを率いていた江氏ですが、そのメンバーの多くは、反腐敗闘争によって、すでに摘発されています。習近平政権の基盤は盤石で、共産党内に大きな影響はないとみられています。

(Q.ゼロコロナ政策に反対するデモなどが行われていますが、影響は出るでしょうか)
まったく逆の2つの可能性が考えられます。1つは、国を挙げての哀悼ムードが、デモの活発化を抑えるのではないかという可能性です。もう1つは、逆にデモが活発化するのではないかという見方もあります。江沢民氏の時代、改革開放による経済成長が続いていて、いまの習近平時代よりも自由だった、いい時代だったという見方も多く、庶民の間では人気があります。天安門事件のときのような広い支持はありませんが、哀悼の流れが一連のデモを活発化させる可能性はあると思います。異例のデモの拡大に、中国発展の功労者の死という新たな変数が加わったことは確かで、その影響を注視する必要があります。 (C) CABLE NEWS NETWORK 2022
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